100ペソの重さ (日本、フィリピン、そして韓国)
2008年 07月 10日
「水、売ってなかったよ~」と戻って来た。
じゃあ、お金は?
「はっ!失くした!」
すぐに探しに行ったが、見つからない。
100ペソと言えば、フィリピンでは結構な金額です。
ウロウロ探しているだけの息子に 「そこにいる全員に聞いて来い!」 と私が怒鳴りました。
売店の周りには、授業が終わったフィリピン人の先生やバスケを楽しむ韓国人学生がたくさんいました。みな、私たち親子のやり取りを見ています。
人前で怒ることをしないフィリピン人の目には、私がどう映ったのでしょうか?
たかが100ペソで子供を怒る日本人は韓国人にはどう映ったのでしょうか?
しばらくすると、息子がお金を持ってやってきました。
「見つかったの?」
「・・・・。」
「じつは… 先生がくれた。」
!!!(怒) 「すぐ、返してこい!」
私も一緒に付いていき、「申し訳ないけど、助けはいりません。」 と言って、お金を返した。
そこにいる先生方が私に向けたまなざしは、まさしく非難。
そうだろうよ。
こんな小さな子供を人前で怒るのだから。
しかも日本人が100ペソくらいで。
「自分で探せ!」 「全員に聞いて来い!」 と怒鳴っているのだから。
しかし、考えてほしい。
親なら当然の行為ではないだろうか?
私たちは観光でフィリピンにいるわけではない。
フィリピンに住んでいて、フィリピン人と一緒に生活している。
フィリピンで100ペソを稼ぐのに、どれだけの労働をするのだろうか。
フィリピンに住んでいて、100ペソでどれだけのものが買えるのか。
そこで、日本人の子供が100ペソ失くしても平気な顔をしていたら…
私は自分の息子にそうなってほしくない。
その場で淳に言った。
「先生が助けてくれたことを正直に言ったことは、とても素晴らしいことだと思う。でも、その前に先生たちが100ペソを稼ぐことが、どれだけ大変なことなのかを考えてほしい。貰う前に断ってほしい。日本人が100ペソ稼ぐのとは訳が違うのよ。その先生があなたに100ペソを渡してくれたことはどういうことなのか、よく考えなさい。」
また探し始めた。
もちろん私も一緒に探す。
100ペソをなくしたことが、それくらい大変なことだと息子に気がつかせるために。
途中で学校長や事務所のスタッフに会い、その度に何をしているのか聞かれた。
お金を探していることを話した。
失くしたことを怒っているのではない。お金の大切さを気が付かせるために怒っているのだと。
子供がいる学校長もスタッフも
「親だから分かるわ。それは大切なことだから、がんばってね~」
そして、今度は韓国人学生に聞き始めた淳。
しばらく探していると、淳が泣きながら100ペソを持ってきた。
「見つかった! 良かったね~。 どこにあった?」
「そこ…」
「そこ… ???」 どう見ても、そんなところにあるわけがない。
とにかく見つかったので、息子をぎゅーっと抱きしめ、褒めてあげた。
「良かったね~。頑張って探したかいがあったね~。」
周りで見ていた先生方も泣いている。
そして、二人で食堂に向かいながら話をした。
「もしかしたら、誰かが置いてくれたのかもしれないね。」
「ぼっ、僕もそう思う。だって、僕が失くしたのはボロボロだったのに、これは新品なんだもん。拾うの止めようかと思ったけど…」
「…そうか、みんな、あなたのために優しいね。」
手に持っていた100ペソを私に渡した途端、泣き崩れた息子。
みんなの優しさと自分の馬鹿さ加減が、息子の胸一杯に嬉しさと恥ずかしさと悲しさなどが入り混じった複雑な感情として溢れてしまったのだろう。
私は100ペソを持って、置いてくれた人を探し始めた。
さっき泣いていた先生たちに聞くと、どうやら置いたのは韓国人学生のようらしい。
学生が集まっているところに行き、
「どうもありがとう。でも、息子も自分のではないと気が付いているので、これは貰えないわ。」
と言って、お金を返した。 受け取った学生はバツの悪そうな顔をしていた。
しかし、彼の気持ちはとても嬉しかった。
私にとっても、息子にとっても、今回のことはとても良い経験をしたと思う。
フィリピン人の先生と韓国人の学生の温かさを思いっきり感じた事件だった。